刻印

 我に返ったとはこのことだろうか。
 今日見た夢をまるで上から眺めていたような不思議な感覚から覚醒した。
 畳の井草の香りがきぬたの鼻孔をくすぐった。それが自室であることを知らしめたようだ。
 そこで扉ががらりと開いた。
 掃除機を持ったきぬたの母、雅子が部屋の扉を開けたのだ。

「いいよ。部屋の掃除とか。それと勝手に開けんな」
「理不尽だと思うのよ」
「は?」

 きぬたの言い分など完全に無視を貫き、雅子がズカズカと部屋へと入り込んでくる。掃除機をかけながら雅子は言葉を続ける。

「私は家のために尽くしているわけよ。炊事に洗濯、掃除。手が空いているときは店番。これだけ頑張っているのに、あなたはどうしてゴロゴロと横になっているだけなのかしら」
「俺は母さんの小言を聞くことに体力使ってるからじゃねーの」

 入られたものは仕方ないといわんばかりにきぬたは床に転がったコントローラやら参考書の類を片付け始める。

「まぁ! あんたって子はほんとに……ってあら」
「何!?」

 雅子がきぬたの視線の先を見た。自分の顔、いや、違う。もう少し下だ。
 首あたりか。

「どうしたのそれ」
「それって何?」

 雅子の戸惑いの色が声に如実に表れているのをきぬたは感じ取る。
 嫌な予感が募る。雅子はきぬたの腕をぐいと引っ張る。

「ほれ」

 窓の前に立たされて、そこにうっすらと映る自身を見る。
 今日も冴えてるなんて思わないでもないが、兎に角、雅子が凝視していた首筋に目をやった。
 そして、きぬたは唖然とした。

「なにこれ」
「いやいや、私が聞きたい」
「俺だって聞きてぇよ!」
「なんだ、私はてっきりあんたが刺青入れるとこまで落ちたのかと」
「自分の息子をなんだと思ってるんだ」
「ドラ息子」

 きぬたはその言葉をしっかりと噛みしめた。ドラ息子。響きが古い気がするが雅子は古い人間だから仕方ないと、きぬたは半ば諦観する。
 それよりも、雅子に刺青と言われたそれを見た。
 鏡のように鮮明に映っているわけではないため詳しくはわからないが、確かに刺青のそれとよく似ていると思う。
 Tシャツの襟で大部分が隠れているが、きぬたの嫌な予感は的中したのだろう。
 部屋を飛び出す。きぬたが向かった先は脱衣所だった。Tシャツの襟をめくってそこにある痣の全貌を見た。

 『騎』

 左肩に近い鎖骨の上に、仄かに赤みを帯びた黒色で彫り込まれていた。
 思い当たる節がないわけではなかった。
 なんだっけか。最年少で剣の才を見出された人だっけか。設定にしては盛ってるしありきたりだなときぬたは悪態をつく。王女に仕える直属の騎士だっけか。これはもっとありきたりだ。
 なぜかはわからないが、きっとそういうことなのだろう。きぬたは、脱衣所をあとにした。
 
 部屋に戻ると雅子は粛々と部屋の掃除をしていた。
 内心、しなくていいのになどと思ったが、雅子が掃除機をかけている背中を見たら断るに断れなくなった。
 ただ、部屋の主は俺である主張はする必要があるらしくきぬたは、勉強机から椅子をひいてふんぞり返るように座った。

「結局その首のなんだったの?」
「痣じゃね? なんか寝違えたみたいで。そのせいかも」
「ふーん。湿布でも張っときなさいよ」
「ん」

 それは妙案だと思った。あとで救急箱から拝借しようときぬたは決めた。

「あ、そういえばさ、なんで俺のこと何も言わないんだよ」
「あら、言ってほしいの」
「ちげーよ! ただ、気になったんだよ」
「お父さんの意向に背くからよ」
「出た。家父長制ってやつじゃねーの」
「そんなんじゃないわよ。私は春くんを信頼してるってことよ」
「ふーん」

 きぬたは曖昧な返事をした。父のことを春くんと愛称で呼ぶのは久しぶりに聞いた。
 なぜかきぬたがくすぐったいような気分になる。

「あれよ。あれ。私には私の考えがあるのよ。あなたの偉大なお父さんの意向に沿って私は何も言うべきではないと判断したわけ。決して、安易に判断できることではなかったけど、私は何も言わないことが正しいと判断したの。この意味が分かるかしら」
「わからんわからん。これっぽっちもわからん」
「あなたにもあなたのやるべきことがあるんだからシャキッとしなさいってことよ」
「へーいへい」

 きぬたの脳裏にはあの夢の中に出てきた王女の姿が映っていた。

 ――私は明日も待っています。

 夢の中で言われた言葉がすっと居心地のいい場所をみつけたと言わんばかりにきぬたの胸に収まった。
 なるほど、この痣のことを問いただしてやろう。
 きぬたは口角が上がったのを感じていた。

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